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過去記事です。

生き証人ー戦時災害援護法を成立のために活動する杉山千佐子さんの詩



杉山千佐子さんの著書から詩を引用します。
第二次世界大戦での大空襲により、体にハンディキャップを背負い、しかし、国から一切補償がなかったのです。詳細はこちらをどうぞ。
第二次世界大戦はまだ終わっていない…-一般人の戦災障害者への補償はいまだにない!!!

詩とは、その言葉を見た人が自分の価値観でほどいていくものなので、あまり多くを語りません。

しかし、第二次世界大戦のときとその後の様々な公害や福島第一原発事故などに共通することも見えてきます






(戦時災害援護法制定をお願いしているのは※)
「金をくれという問題ではない。戦災で傷ついた人間が存在したという証し、その痛みをわかってほしい。国の責任を明確にして償ってほしいということなのです」

おみすてになるのですかー傷跡の半生 杉山千佐子著
おみすてになるのですか―傷痕の半生

※管理人追記




◆生き証人

戦場は
いつも海の向うにあった
海の向うの ずっと 遠い
手のとどかない 所であった
赤紙のきた

はらからは
お国のためと 元気よく
海をわたっていった。

泥水と疲労と炎天と飢餓と死と
そのなかを砲弾が銃弾が爆弾が
つんざき唸り炸裂していた
戦場とここの間には海があった
兵隊たちは死ななければ
その海をわたって帰れなかった
いまその海をこえて

幾百幾千の敵機が
ここの上空に殺到している
焼夷弾が投下されている
想像をこえた量の焼夷弾が
いま ここの上空から投下されている
それは 空中で一度炸裂し
一発の焼夷弾は 72発の焼夷筒に分裂し
すさまじい 光箭となって
地上にたたきこまれる

そこは戦場ではなかった
このすさまじい焼夷弾攻撃に
さらされている この瞬間も
おそらくここが
これが 戦場だとは
思っていなかった
爆弾はおそろしいが
焼夷弾はこわくないと
教えられていた
焼夷弾はたたけば消える
必ず消せと教えられ
みんなその通りにして
気がついたら 火の海 逃げ場もなく
戦場とは知らずに 焼死んでいった

夜が明けた
みわたすがぎり瓦礫の山
ところどころ白煙があがっている
うだるような 風が吹いている
ここは戦場ではなかった
この風景は単なる焼跡
ここで死んだ人たちは
戦死者とは呼ばれなかった
単に罹災者 ここで傷した人は
戦傷者とは呼ばなかった
ただ戦災者

国家補償とは その時
もらった 一袋の乾パン

人びとは戦争の悲劇を惨状を忘れている
忘却とは再び罪をおかす事
戦争の苦しみを
知らぬ人も 知る人も
再び戦争への道を歩みたがっている
カッコいいから 儲かるから
核戦争になり 核が使われたら
第二第三の ヒロシマ ナガサキ
そして地球が全滅するだろう
人類がほろびるだろう

子どもが戦争にとられてから
泣いたって手おくれだ
いまや地球上いたるところに
私たちと同じように 平和を願う
人々が 母親が 仲間がいる
武器を捨てよう 核をなくそう

阻止できるのは 戦争の生証人の
被爆者であり 戦災障害者であると
私は信じている
そこは 戦場であった
海の向うと 同じ戦場であった
焼夷弾が爆弾が炸裂した
多くの人が死んだ 傷ついた
「内地は戦場でない」と大臣はいった
内地も戦場であった





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