日隅:
結局東電も、保安院が先ほど言った損傷というような言い方に変えた後、東電のほうも損傷という言い方にそろえていきますので、当事者も損傷だと。で、それをきちんと監督する官庁も損傷だと。そういうこと言われれば、メディアとしてそれに反してですね、いや実はもうメルトダウンしてんだとはなかなか書きづらかったんだとは思うんです
(文字起こしここから)
水野:
たね蒔きジャーナル今日の特集です。近藤さん。先ほどからこの原発事故後の対応について、なんと情けない国やなーという言葉が出ておりますけれども、この後具体的にどういうことだったのかということを具に見てこられた方の話を伺わせていただこうと思っています。今日のテーマは「検証!福島原発事故
記者会見」と題して、お送りいたします。えーこれからお話を伺う方は弁護士さんでいらっしゃるんですが、もともと新聞記者さんなんですよ。で、その後弁護士に転じられて、あのー人権問題などもやってこられた弁護士さん。そして、現在はインターネット新聞という形で編集長として、発信もしてらっしゃる。ですから、取材し発信する弁護士さんと申し上げたらいいかもしれません。弁護士の日隅一雄さんです。日隅さん、こんばんは
日隅:
こんばんは
水野:
水野と申します。よろしくお願いします
日隅:
よろしくお願いしますー
近藤:
近藤ですが、よろしくお願いします
日隅:
よろしくお願いいたします!
水野:
日隅さんがですね、出されたご本が岩波書店から出てます。「検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか 」というご本が今話題になってます。日隅さんはこの東電の記者会見に何回ぐらい出られたことになるんですか
日隅:
んー当初はですね。1日にもう5回も6回もやってましたので、そういうことを含めましても100回以上は出てると思います。はい
水野:
100回以上。それこそ、最初のほうの会見というのは、会見場ももうぐちゃぐちゃだったんじゃないですか
日隅:
そうですね。私などはこうもう座るスペースがなかったもんですから、あの立ったままですね、次の会見を待っている、そういう状況でした
水野:
何時に始まるってわかるんですか
日隅:
わからないんです。もう、あの直前15分くらい前になってですね、今から始めますとかって、ペーパーを配り始めるというそういう状況でした
水野:
はー、じゃもうほんとに、ちょっと出かけるなんてこともできず
日隅:
そうですね。食事に行くのもできないような状況でしたね。ですから、インターネットで生中継しているところがあったので、そういうのを見ながらですね、食事をしてそれを見ながら、何か配り始めたら慌てて食事をやめてですね、あのー現場に、あの会見場に戻るというような状況でした
水野:
それだけ情報が出てくる量も多いし、またーあの記者の数も多かったんでしょうけど、最初に一言伺うと、現在って会見場ってどんな感じなんですか
日隅:
今ですね。と、あのー、途中で政府と東電の統合の記者会見になったんですけれども、その会見がなくなって、また単独の会見になってるんですけれども、単独の会見になったらば、やはり数は少なくなってますね。参加しているマスメディアやジャーナリストの数ってのは少なくなってますね、はいはい
水野:
はー、やっぱりこう、情報もじゃあなかなか出てこないってことになりますか
日隅:
そうですね。結局、あのー東電単独の場合ですと政治家が全く出てきません。えー政府と東電の統合会見の場合は一応政治家は前は細野さんだったんですけれども、その後園田政務官がでてましたので、一応政治家が出てることによって、ある程度責任のある回答があったんですけれども、なかなか東電の単独あるいは保安院の単独というような形になりますと、んー責任を持った回答ってのはなかなかされなくて「持ち帰ります」と、「今はすぐに答えられません」というな形で回答はズルズルと引き伸ばされて、そのうち次の問題が発生するたびにその問題について答えはないまま行き過ぎてしまうというようなことがありますねー
水野:
本当は取るべき情報が取れてないケースもあると。だけど、ずーっと日隅さんがですねー、やってこられたこの記者会見に出るってお仕事を途中中断なさることがあって、それがご病気だったんだと聞いたんですが
日隅:
はい、あのー、5月の末に胆のうがんということで宣告受けまして
水野:
胆のうのがんですか
日隅:
はい
水野:
はー
日隅:
えーと、ちょうどまぁ1か月ほど入院したんですけれども、結局手術ができないということで、えー、ま、あー化学療法しかないということで、余命は半年だというふうなことを言われましたねーはい
水野:
えっ、すいません。え、去年の春に、5月に
日隅:
5月の段階で余命は半年ぐらいでしょうという言い方をされて、ま、もし抗がん剤が効けば1年くらいかなと言われたんですが、抗がん剤が効くのは2,3割でしょうというふうなことだったんです。ま、おかげさまで、あのー、6か月は超えてですね、まーその、おまけの(聞き取れず)
水野:
確か49歳でいらっしゃいますよね。大変若くていらっしゃるんだけど、今日現在、大変元気な充実したお声を聞いてはおりますが、痛みもおありの中で会見で続けはったんですか
日隅:
そうですね。あのー、痛みは幸い12月の中旬くらいまではなかったんですね。ですので、ちょうど統合会見が終わる直前くらいからかなり痛みが出るようになって、今はあのー、いわゆる麻薬系の痛み止めで抑えているというような状況です。はい
水野:
近藤さん、やっぱりジャーナリスト魂ってすごいもんですね
近藤:
んー本当そうですね。あのー日隅さんね。今日あのーアメリカの規制委員会が、あのーいわゆる記録的に残してたやつを、こう、公にしたでしょ
日隅:
はい
近藤:
でー、それ、日隅さんそういう体で日々記者会見出られてですね
日隅:
はい
近藤:
で、あの、そこにはほんとにジャーナリストとしてのすごい魂がこもっていたと思うんですよ。実にこの、あのアメリカのこういうものに触れて、以前の日本の会見を振り返ってみると、何か思うこといっぱいあるんじゃないですか
日隅:
そうですね。結局、あのー、積極的に情報を、本来出さなければいけない事態であったにもかかわらず、その肝心な時にですね、あのー、ま、情報を出さないと。で、肝心な時に情報を出さないということは、結局その情報があったことを、自体を、まー、なかったことにする(聞き取れず)、結局、まーあの、議事録なんかもとらないということになってるんだと思うんですね、日本の場合は
近藤:
議事録の問題なんですけど、会見でいろんなことを言ったから、記者の記録に残ってるんってんならまだしも、両方ともないような話が何日か続いてますよね
日隅:
両方ともないというのは記者の…
近藤:
つまり、われわれの記録にもなければ、議事録にものってないという
日隅:
あーそうですね。当初混乱してまして、えーと、まぁ、ERSSとかSPEEDIとか、いろんなものが本来あるにもかかわらず、そういうのが出てこなかったということですよね。その辺についての理由も、なぜ出せないかという理由も、非常にこう本当は…と違うような説明をされてましたね。はい
水野:
あのー、日隅さんのご本を拝見しますとね、時々刻々どういうことがあったのかってのが、わかってくるんですけど、その中の一つにメルトダウンについて、これが実は3月12日、つまり事故の翌日にですね、東電の記者会見で、ちゃんとメルトダウンの可能性があるという報告をしている人がいたんですよね
日隅:
そうですね。あのー
水野:
それが聞いたという話を教えていただけますか
日隅:
はい。結局、当初はですね、あのー、おそらくマニュアル等に官僚が動いていたと思うんですね。ですので、ERSSなどのその炉内の状況を予測するシステムによってですね、炉内状況はメルトダウンしているだろうと、いついつにはこういう状況だろうということは正確に、ある程度正確に把握してたはずなんですね。で、その両方が当初はそのまま官邸等にも伝わっていたはずなんですけど、結局何某かの力が働いて、えー、そういう情報が出なくなった
水野:
これ具体的にはね、あの保安院の審議官がですね、メルトダウンの可能性を12日のお昼2時過ぎには認めてたっていうんですね
日隅:
はい、中村さんという方
水野:
中村さんが。ところがこの中村さんがしゃべり続けるかと思いきや、夜になったら中村さんの姿が後ろに隠れてしまった
日隅:
そうですね。中村さんの後何人か交代して、結局最終的には有名になった西山さんですねー
水野:
あの西山さん
日隅:
その西山さんに代わる途中でも、根井さんとかですね。そう方がいらっしゃって、根井さんは損傷の程度についても割と事実に近い説明をされてたんですけど
水野:
つまり、メルトダウンという言葉そのものは使ってはいらっしゃらないけれども、損傷、炉心の損傷という言葉でメルトダウンを示唆してたってことですね
日隅:
そうですね。根井さんの段階まではそういう形で割と事実に近いことを言われたんですが
水野:
ところが西山さんは、ずっと長いこと担当してらしたんで、私たちも顔を覚えてるんですけれども、その長いこと担当した西山さんは、じゃメルトダウンについてどうおっしゃったんですか
日隅:
ま、彼はそのー、いわゆるメルトダウンはしてないけれども、あーいや、メルトダウンについて完全に否定してるわけじゃないんですけれども、基本的には燃料が一部損傷していると。こういう言い方に変わりますね
水野:
一部損傷。あー微妙ですね
日隅:
あーい
水野:
燃料が一部損傷と言われたら、それはメルトダウンだという風にはなかなか受け取って言ってしまえないもんですよね
日隅:
そうですね。結局、形を維持したまま損傷しているケースもありますので、メルトダウンして燃料が溶けて下にまで落ちてるということを、そのー、必ずしもそうではないということを西山さんは言ったわけですね
水野:
つまりこう、言葉がびみょーにこう変えられていく経過を、日隅さんご覧になったというか、感じられたのかと思うんですけど、そのあたりはいかがですか
日隅:
んーそうですね。これは、結局、冷温停止状態とかですね、というようなこととも絡んでくるんですけれども、結局、言葉をそうやってソフトな言葉に変えることによって、重大な事実がいかにも重大ではないかのように我々に印象を与えるという意味で、あの一貫したやり方だったと思いますね
水野:
一貫して重大な事実をそうでないように、聞こえさせるような言葉選びをなされていく。そうするとそういう会見の後って、世の中の雰囲気ですね、新たな言葉を得た世の中の雰囲気っていうのはどうでしたですか。受け止める方として
日隅:
そうですね。ま、結局その、そういう言葉が出ることによって、やはり安心をされた方が多かったんではないかなと、それは私はそのそれぞれの方に聞いているわけじゃないのでわかりませんが。そういう方向にもっていこうとしたんだとは思いますね
水野:
近藤さん、言葉選びねー
近藤:
あのー、いわゆる官僚ですよね。その官僚がいて、なおかつ東電というのも、日隅さんどうなんですね。東電というのも官僚以上に官僚的なところがあんじゃないでしょうかね
日隅:
それはそう感じました。はい。ですので、もともと東電もSPEEDIとかERSSと同じようなシステムを持っているにもかかわらず
水野:
あっそうなんだ
日隅:
持ってます
水野:
で、炉心、原子炉の中の様子もわかるし、風向きもわかるしってことですね
日隅:
そういうものを独自に持ってるんですが、当初は持ってるっていうふうに言っていたんですけれども、だんだん「いやーないんだ」とかっていうようなこと
でですね、ことを変えていくんです
水野:
はぇ~
日隅:
はい。ちょっと私もびっくりしましたけれども、ただもう当初あの時期では、あのー現場にいる記者はみんなメルトダウンしてるのは当たり前だという状況でいたので、どちらかというと現場でそこをそんなに詰めるということよりも、現在の事故対策がきちんとされているかどうかということを詰めることの方に時間を割いていたというのが手いっぱいです
水野:
えーそうなんですか
日隅:
はい
水野:
メルトダウンしてんのは、もうその当たり前やんかとわかる人はわかってた
日隅:
現場ではそうです
水野:
現場はわかってる。わかってるんやったら大騒ぎしてくれな困りますやん
日隅:
そうだと思います。そう思いました
水野:
その大騒ぎできない、できないのか大騒ぎしなかったのか。そのあたりは元新聞記者の日隅さんから見られたらいかがでした
日隅:
結局東電も、保安院が先ほど言った損傷というような言い方に変えた後、東電のほうも損傷という言い方にそろえていきますので、当事者も損傷だと。で、それをきちんと監督する官庁も損傷だと。そういうこと言われれば、メディアとしてそれに反してですね、いや実はもうメルトダウンしてんだとはなかなか書きづらかったんだとは思うんです
水野:
えー
近藤:
その、メルトダウンという言葉自体のある種の俗っぽさというんですかね、そういうことにこだわるということはないんでしょうね
日隅:
そういうことでは恐らくないと思います。あのー、まぁ、溶融という言い方もできるはずですので
水野:
炉心溶融でメルトダウンも同じ意味でしょ~
日隅:
はい、はい
水野:
炉心溶融と書くことだってできたかもしれませんよね
日隅:
そうです
水野:
だけど、損傷
日隅:
当初は書いたんです
水野:
当初は書いたけど
日隅:
当初の1日2日は書いたわけですね
水野:
そうかぁ。そういう恐れがあるとね。結局、5月の半ばまでかかりましたよね。メルトダウンを認めるまでに
日隅:
そうですね。結局、この問題を逃げるべきときに逃がさないで、ま、5月になって、周りの状況が落ち着いて、えー、見えな…、ある意味線量、放射線の線量等が落ちた後ですね、それを発表するというよう、ことだったと思います
水野:
SPEEDI…
日隅:
避難の必要性が無くなった後ですね
水野:
避難する必要性無くなった後に、メルトダウンしてました。そして、SPEEDIもだいぶ遅れましたよね。これは現場の記者会見に出てらしていかがでしたか
日隅:
結局SPEEDIも、われわれは当然専門家じゃないので知らなかったんですけれども、ま、専門的にされている記者の人はその存在を知ってたんですけれども、当初読売新聞のほうに「データが届かないので使えないんだ」というような間違った記事が載ってですね、そういうことは本当はなかったんですが、あー、あるいはその、ここに使ってあてはめている数値というものが仮定の数値であって、本来の数値ではないので、実測値ではないので使えないんだという、そのような説明はなされたようですね、当初。それで、えー、これは使えないものなんだということを記者に印象付けたと思います
水野:
そうかぁ。ある種、そうした、こう、情報の巧みな扱われ方に、マスコミも巻き込まれたという風に日隅さんから見えるということですよね
日隅:
そうですね
近藤:
巻き込まれたっていうか、あるいはそのー、マスコミの側の意識の問題って言いますかね。ズバリお感じになられたことは、会見の中で、対マスコミに対してはどんな印象なんですかね
日隅:
んーま、正直言いまして、私は大阪で記者をしてたもんですから、あの、大阪で記者会見なんかも行われる場合ですと、自分が質問したことに対してちゃんとした回答が返ってこないで明らかにごまかしてるということがありますと、皆さん怒るのが普通だと思うんですね。それで、ちゃんと答えなさいと、答えられないんだったら、じゃ答えられる人を呼んでくださいという話になると思うんですが、そういうのがなかったのがとっても残念でした。非常にこう上品な会見でした
近藤:
上品にね
水野:
怒らないんだ!
日隅:
はい
近藤:
わかるような気すんな。なんとなく
水野:
それは東京だからですか
日隅:
んーま、私が想像するには、東京では、その、官邸いや、官僚の方や省庁を担当するもんですから、そういう人たちはある意味省庁の立場と自分の立場を一体視してですね、同一視して、自分たちが国民に情報を提供してるんだとみたいなですね、ちょっと高い位置といいますか、そういう風に私の目から感じざるを得ないと。もちろん現場の人たち、一生懸命やってる人たちはたくさんいましたが、出てくる情報としては結果的には十分な情報ではなかったのは間違いないわけですから。そういう風に感じましたね
水野:
ラジオネームたねファンさんから質問が来ましてね、政治家の記者会見としては菅さんはあの当時ほとんど出ないで、記者会見に枝野さんが出てましたよねと。なんかこう責任逃れのためだと思うんですけど、日隅さんはどう思われますかという風にご質問です
日隅:
ま、その、菅さんが必ずしも毎回会見に出なきゃいけなかったということはないと思うんですが、ま、どうなんでしょう。そこのところは政治家はどこまでですね、具体的に言うと官僚からいってかわからないんですけれども、少なくともどっかの段階で官僚から政治家に上がるデータがストップしたんではないかと私は思ってます。むしろ、官僚にしてやられた部分が大きんではないかなと思ってますね
水野:
あー
近藤:
そうですかー
日隅:
はい。もちろんその政治家が最低限仕入れた情報を十分に使いこなせなかったということでは、政治家の責任もとっても重いのは間違いないんですけれども、必ずしも政治家独自の問題ではなくて、官僚のいわゆる原子力ムラを守ろうというですね、意思というのがかなり大きかったんではないかと思います
水野:
日隅さんは、ロンドンにも留学してまして、ヨーロッパのこの市民の意識というご本も書いてますけど、もしこれがヨーロッパで行われたらね、どうなるとと思います
日隅:
まぁあの、ドイツとかですね、国民投票の結果が出たことからもわかるようにですね、大変な騒ぎになってる。恐らく東電や経産省なんかもう何万人の人が取り囲んで、大変な騒ぎになったでしょうね
水野:
日本はそうはね、なりませんよね
日隅:
そうですね
水野:
あの、日隅さん本当にあの闘病しながらよくまとめてくださった一冊。ありがとうございましたと申し上げたいと思います。これからもまた、取材活動も弁護士さんでありながら続けていただければと思います。どうもありがとうございました。
近藤:
ありがとうございました
日隅:
ありがとうございましたー
水野:
弁護士の日隅一雄さんでした。
たね蒔きジャーナル。近藤さん
近藤:
はい
水野:
リスナーの方々から今日の特集に対するご感想を次々いただいたんですけどね。
奈良県の竹内さんという方、こういう風にメールをくださいました。この国は、政府のための、政府による、政府だけを救う国家になった感じがしますと
近藤:
あのー日隅さんがね、がんの宣告を受けて、余命半年ですか
水野:
はい
近藤:
私はそれで、あのー、いわゆる記者会見というタイトルの本を出しているっていうこと、また近く本を書かれているという、これはね心ある記者はやっぱよまなあかん、これはね
水野:
はい
近藤:
ほんとにそう思います
水野:
これは私も、もうこう、手放せないなと思う一冊ですね。岩波書店から出ている「検証福島原発事故・記者会見 東電・政府は何を隠したのか」。実は、表に出てきているより、隠されたことのところに大切な大切な真実があるんですね。やっぱりそれを伝えられていないっていうことを、ほんまにあの猛省しなあかんと思いますし、どうかみなんも、それこそ自分の身を守るためにも、この視点をお持ちになったらという風に私は思いますが。近藤さんどうもありがとうございました。皆さんもご感想ありがとうございました。
日隅さんを知ったのは、昨年の晩夏。今回の事故に関して情報を本格的に集めだした時期でもあります。統合会見もできるだけ見ていました。フリージャーナリストの方がいる時といない時の差というものがだいぶあったなという感じがしました。とりわけ、日隅一雄さん、木野龍逸さん、おしどりさんは個人的にいつも応援しておりました。
日隅さんが亡くなった情報を聞いたときは心が折れそうになりました。しかし、それでは日隅さんに申し訳ないと思い、日隅さんほどの知識も行動力もないけど、ボクにできる範囲のことを行っていきたいと思ってます。