ただ、何となく。
ボク自身のことを書こうと思いました。
本日のテーマはいじめ。
小学校3年から中学校3年まで。
いじめにあいました。
いじめは種類がいくつかあるかと勝手に分析しています。
- 暴力型ーそのまま暴力を日常的に振るう形
- メンタル型ー悪口を次々に言う
- 村八分型ーそのままです
- 複合型
相談。両親にも教師にも、何とか伝えました。
父親「やられたらやり返せ」→できるんだったら相談しないやい!
母親「大変ね。先生に言う?」→自分は何もしないつもり。
先生「そっか。何かあったら言ってきなさい」→言ったんですけど。
こんな始末なので、気持ちをふさぐしか方法はなくなっていきました。中学生にあがるころこつこつためて買ったテレビゲームで日々を紛らわしていました。それすらなかったら今どうなっていたんだろうか…
中学校に進学しても、同じ小学校から来る人もいるわけで、結局様子は変わりませんでした。このころの記憶を必死で消そう消そうと毎日過ごしていたものですし、今も消したい記憶です。
いじめという言葉。
悪質なものであっても、未成年であればすべていじめという言葉で片付けられます。大津市の事件もそうです。しかし、中身をよく検証すると、集団リンチであることは明白なのです。いじめという言葉でなんでもくくってしまうため、本当に何が起きたのかがぼやけてしまうという事態が起きています。
そして、いじめというと必ず出てくる言葉があります。「加害者の人権」と「いじめられる者にも原因がある」というセット。「加害者の人権」は確かにあります。しかし、新聞・ニュースでよく見るのは、事件が発覚した一番の報道に「加害者の人権」が来ます。確かにそれは大切なことです。しかし、待ってと言いたいのです。一番に考えなければいけないのは、「被害者の人権」だと言いたいのです。
また、「いじめられる者にも原因がある」という言い方。もうこれは暴力だなと感じます。いじめられている人は必死です。なんでこんな目に合うんだ、なんでぼくだけ…ずっと自問自答しています。いじめられないように日々びくびくしながら過ごしているのに、それをこの一言で片づけられるのは本当に許せないのです。
時折、こういった自分のことも紹介していこうと思います。よかったら、感想を聞かせてください。