斉藤和義さんのシングル「ずっと好きだった」を、斉藤和義さんが自ら反原発ソングとして歌詞を変えて歌った曲名。
福島県で歌った時の動画があるので、紹介します。
3.11以前はボクは無関心だったし、間違いなく洗脳されていました。
東日本大震災が起きた後、テレビ画面にはなぜか作業服の枝野という人ばかりが映っていました。家にテレビはないため、外だったり車で見たりしてましたが、なぜかその人ばかり。これはおかしいぞ!なんかあるなと思いつつ、当時は仕事をしていたので、そのままになりました。
6月に真友と講演会に行きました。その講演会の内容を聞いてから、ボクは必死に勉強するようになりました。ボク等が聞かされていた情報は何だったんだと。
☆斉藤和義さんとの出会い(本人にお会いしたことはないです)
斉藤和義さんはデビュー当時から知っていました。この人良いよと友人に勧められたのです。斉藤さんのすごいところは、CDの収録に際し、すべての楽器を自分でしてしまうところです。時折、ゲストが入ることもありますが、アルバムに紹介されている各曲の楽器演奏者のところを見ると、ほとんど斉藤和義と書いてあり、何でも自分でこなす実力派です。
そして、3.11後、Ustreamでのライブで「原発反対です」とはっきり言ったとき、ずっと聞いててよかったという思いでいっぱいでした。
「原発反対です」―斉藤和義さんが震災後のチャリティライブに出演し、語った思い。
ブログを書いたらと言われたのは昨年の夏。その時のタイトルは「生命を蔑ろにする産業は必要なし」と名乗っていたのですが、斉藤和義さんの曲をずっと聞き続けていて、反原発ソング目白押しの「45stones」というアルバムもリリース、ライブにも行ってきて、この人の曲名を使おうと勝手に決めました。
そして、「ずっとウソだった」を選びました。歌詞の内容からもぴったりきたからです。
斉藤和義さん、勝手に使ってすみません。でも、すごく気に入ってます。
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