ロンゲラップ島住民の健康の話、移住の苦悩など写真を交えた「ふるさとはポイズンの島」を読んで、少しロンゲラップ島のことを調べてまとめます。
水爆の放射性物質を直接浴びなかった人たちの間にも病気や出産障害が広がっていました。島に住み続けるのは限界だという考えが強まり、島を離れたくない年寄りたちも「子どもたちの未来のために」との思いで島を離れる決断をしました。
ふるさとはポイズンの島
◆ロンゲラップ島の位置はどこ?
まずは大きな地図から。
マーシャル諸島の位置に赤丸を付けました。
その、地図をクローズアップします。
こちらがマーシャル諸島の地図です。
ロンゲラップ環礁の位置に丸をつけました。
さらに!
ロンゲラップ環礁の島の位置です!
こういう地図があるとイメージが湧くかと思います。
◆ロンゲラップ島住民に起きた出来事
被曝の歴史
アメリカ合衆国は1946年から1958年にかけて水爆を含む軍事目的の大気中核実験を、ロンゲラップ環礁から約240km離れたビキニ環礁で行なった。特に1954年3月1日に行われたキャッスル作戦の水爆(ブラボー※)は、多量の死の灰を降らせて、ロンゲラップ環礁の住民や日本の遠洋漁船第五福竜丸を含む多くの漁船を被爆させた。
実験の3日後、ロンゲラップ島の住民64人全員は1.75Gyの放射線に被曝し、財産を残したままクェゼリン環礁に強制的に移住させられ、治療を受けた。実験から3年後の1957年にアメリカ合衆国はロンゲラップ環礁の”安全宣言”を行い、元の住民の帰宅を認めた 。 しかし、環礁に戻った住民の多くに甲状腺の腫瘍ができ、また子供の多くが白血病で死亡した。ロンゲラップの元村長ジョン・アンジャインも1歳のとき被曝した息子レコジを1972年11月15日に「人類の水爆死1号」として急性骨髄性白血病で亡くした。
1985年にグリーンピースは環礁から住民を救い出し、クェゼリン環礁のMejatto島とEbeye島に住民を避難させた。しかしEbeye島はロンゲラップ環礁より明らかに小さく、失業者があふれ自殺も多発し、過密な人口は島への定住を困難にした。
1996年9月、アメリカ合衆国内務省は4,500万ドルを投じてロンゲラップ環礁に残る汚染土壌を数インチ除去することで島民と合意した。多くの評論家は、この作業は不可能だと考えていたが、島の村長ジェイムス・マタヨシは「作業は順調に進んでおり、明るい未来を約束する」と島民や観光客にアピールしている 。
2001年に島民を帰島させるための放射能の汚染除去作業が始まり、マーシャル諸島共和国政府は核実験の被害補償は不十分だとして、アメリカ議会に新たな補償要求を行っている。
※(管理人注)
1954年3月1日の水爆ブラボーは、広島に落とされた原爆の約1000倍の威力を持つという強大なものでした。
その日(1954年3月1日、水爆ブラボーの実験が行われた日。管理人追記)、ロンゲラップ環礁では、胎児4人を含む86人その放射性降下物を浴びました。しかも3日間何も知らされないまま放置されたのです。島外に避難して3年後、1957年にアメリカ政府が安全宣言を出し、島に帰ったものの、島にはまだ強い放射能が残っていました。それから28年間、数百人が放射線を浴び、がんや白血病、流産・死産、先天性の身体的・精神的障害に苦しんでいます。
1985年、人びとは自分たちの判断でふるさとの島を脱出しました。"ポイズン(毒=放射能)"に汚染されたふるさとを捨てなくてはならなかったのです。
◆ロンゲラップ島住民の苦悩
1985年5月20日。
ロンゲラップ島の人たちは、船に乗り込み、ふるさとの島を離れました。
それまで、島の人達は何度も話し合ったそうです。
ふるさとの島を離れること。
ポイズン(放射能)があるこの島に残るということ。
ロンゲラップ島の住民は何もしていないのに、突然ポイズン(放射能)の被害を被ったのです。
1976年9月のある夜も、村役場で集会を開きました。なかなか結論の出ない集会の後に、ヘルスエイド(保健衛生士)のチャーボエ・ジョルジュさんは「島を離れるか、島でみんな病気なるか」とつぶやきました。
◆ロンゲラップ島の住民に起こった健康被害
○死産や流産が相次いだ
○手や足に6本の指をもって生まれた子
○成長が遅く身長が伸びない子ども
○脳障害を持った子ども
などなど、被曝するまではなかった病気や障害が起きています。
この間もアメリカは半年に1回、被曝した人たちに番号をつけ、「検査」を続けています。
◆ロンゲラップ島住民の現在
米、ビキニ環礁の水爆実験被害者に「帰郷」求める-AFPBB Newsアメリカ主導で、除染が行われ、発電所や農畜産場、住宅などを作り、ロンゲラップ島に戻ることをアメリカは望んでいます。
しかし、健康被害が出ているのに、帰れるでしょうか。
「いまはロンゲラップに戻りたくない。いま戻れば死んでしまうだろう。米国は被害者が死んで1人もいなくなってしまうことを望んでいるのか?」
住民の意志は、この言葉に集約されているのではないでしょうか。
「(放射能は※)見えないし、においもしないし、味もしないが、ここには毒が確実に存在しているんです」
※は管理人追記
ロンゲラップ島について参考になるページ:
マーシャル諸島(ビキニ水爆実験)ー森住卓さんのページ
こちらの本はじっくり読んでも2時間はかからないと思います。また、写真とともに紹介されています。住民の姿や表情を見ることも大切だなと感じました。
記事が良かったなと思ったら、拡散していただけると嬉しいです( ^o^)ノ
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