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過去記事です。

世界で起きている内戦は、帝国列強諸国が作った国境線が一因。


日本、世界の近現代史から衝撃を受けたものをどんどん紹介していこうと思います。
まずは、国境線の話です。







近現代史は戦争、帝国列強諸国の話を抜いて語ることはできません。

そして、現在起きている出来事は、歴史を紐解くと原因の一端が見えてくることもあります。


ここでは国境線の話を記述します。
「二十世紀の歴史」から引用します。



湾岸戦争の原因となったイラクとクウェートの間の国境線は、一九二二年にアラブの砂漠のテントの中でのイギリス人による線引きで決められたものであった。(P106)

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帝国世界の下で引かれた人為的国境線によって仕切られた政治空間を新たな国家の領域として受け継ぎ、そのなかで国民統合を図るとともに経済開発を行っていくことは、きわめて困難な課題であった。(P206)

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内戦の火種となったの様々な矛盾は、帝国世界にその源を持つことが多い。よく知られているように、九〇年代前半におけるアフリカのルワンダでの内戦は、フツ人とツチ人の争いとして展開したが、もともと非常に似通った集団であった彼らは、帝国世界のもとでのドイツ支配、さらにベルギーによる統治(国際連盟のもとでの委任統治)によって対立をあおられ、六二年の独立後も構想を続けてきていたのである。
このようないわゆる「分割統治」の歴史や、帝国世界の下で人為的に引かれた国境線による国家領域のもとでの独立が生み出した軋轢が、資源をめぐる強豪や外部からの干渉ととも絡みながら、内戦につながっていったのである。(P270)



赤字は管理人によるものです。引用の3つ目は重要なので引用部分を長くしました。
読んでみて、みなさんはどう思ったでしょうか。

「イラクとクウェートの国境線はアラブの砂漠のテントの中でのイギリス人による線引きで決められた」

ここはとても衝撃的でした。そんな決め方なの!?と思う方も多いかと。


このように線引きしてしまったら、例えば、今までそれぞれ民族単位で生活していたところに突然国境線が引かれ、同じ民族でも国が違うからねとなったり、敵対していた民族と一緒に国家を作れと言われたらどうでしょうか。また、仲の良い民族同士でも、帝国によって流言を流され対立をあおられたら…

いろいろ考えを巡らせることができるかと思います。





◆管理人より

この国境線の問題を知ってから、国という単位について改めて考えています。

そして、一つ思うことがあります。
本当の意味で戦争を反省し、世界平和を考えるのであれば、この国境線の問題にも踏み込まないといけないのではないかということです。

内戦解決を空爆や派兵で解決しようとするのが帝国列強諸国の考え方。
しかし、これは根本的な解決にならないことは、帝国列強諸国が一番知っているのではないでしょうか。




参考:
二〇世紀の歴史 (岩波新書) 木畑洋一(著)


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